多摩川の草いきれと、きな粉のおはぎ
はじめに
これは、わたしが話したことを、そのまま一冊にしてもらったものです。
立派な人生ではありません。登戸で生まれて、多摩川で遊んで、商店で働いて、結婚して、子どもを育てました。それだけです。でも、あなたたちに「おばあちゃんはこんなふうに生きてきたよ」と伝えておきたくて、少しずつ話しました。
読みにくいところがあったら、それはわたしの話し方のせいです。笑って読んでください。
第1章登戸の家と、お豆腐屋さんの湯気
わたしは川崎の多摩区、登戸の駅の近くで生まれました。家は駅からすぐのところで、小さいころは多摩川が遊び場でした。
夏になると、土手の草いきれがすごくてね。むっとするような草の匂いと、虫の声。あれは今でも、目をつぶると思い出せます。
家の近くにお豆腐屋さんがあって、朝はいつも湯気の匂いがしていました。お使いに行くと、おかみさんが「みっちゃん、今日は寒いね」と声をかけてくれた。町全体が家族みたいなものでした。
第2章ゴム跳びと、おばあちゃんのおはぎ
女の子たちとゴム跳びやおままごとをするのが好きでした。日が暮れるまで、飽きもせずに。
食べものの思い出でいちばんは、おばあちゃんが作ってくれたきな粉のおはぎです。幼稚園のころ、小学校に入る前だったと思います。甘くて、きな粉がこぼれて、口のまわりが黄色くなる。おばあちゃんはそれを見て笑っていました。
あなたたちにも、いつか作ってあげたいと思っています。
第3章しょっぱいお味噌汁
学校の調理実習で、お味噌汁を作ったことがありました。張り切ってお味噌を入れすぎて、しょっぱくて飲めないものになってしまって。みんなに笑われて、恥ずかしかった。
でも今思えば、あの失敗があったから、料理は「味を見ながら」と覚えたんです。失敗は、覚えるためにあるんだと思います。
第4章手に職を
小学校のころは、あまり目立つ子ではありませんでした。高校を卒業してすぐ、登戸の商店で事務員として働き始めました。昭和40年代のはじめのころです。
親から「手に職をつけなさい」と言われていました。事務の仕事はこつこつ続けるもので、わたしには合っていたと思います。お店の人たちに、ずいぶんかわいがってもらいました。
第5章母がそばにいてくれた
25歳で結婚して、長男が生まれました。それまでの人生とはまったく違う、新しい毎日が始まった感じでした。もう必死で、毎日が飛ぶように過ぎていきました。
忘れられない人といえば、亡くなった母です。初めての子育てで戸惑うわたしを、いろいろと支えてくれました。夜泣きで大変なときも、ずっとそばにいてくれた。
あのときの母の年に、わたしはもうなりました。母がしてくれたことを、今度はわたしがあなたたちのお母さんにしてあげたいと思っています。
第6章家族の健康
ずっと大事にしてきたのは「家族の健康」です。毎日ご飯をちゃんと作って、みんなが元気でいられるように。栄養のバランスを考えて、風邪をひかないように、うがい手洗いを口うるさく言っていました。
うるさいと思われていたかもしれません。でもそれが、わたしにできる精いっぱいの愛情でした。
おわりに
お孫たちへ。
みっちゃんはね、ずっとみんなのことが大好きだったよ。これからも、元気で、仲良く、楽しい人生を送ってね。いつも応援しているよ。
語りAI物語(かわさき楽AIサポート)で、話した言葉からまとめました。
この本の内容と権利は語り手ご本人とご家族のものです。